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Home / Archives for 随筆

随筆

作家キム・ヨンハのいうように、誰もがアーティストになるべき

2024年9月30日

キム・ヨンハ

ソーシャルゲーム『ブルーアーカイブ』統括ディレクターのキム・ヨンハ氏について調べようとGoogle検索したところ、同名の作家キム・ヨンハ(金英夏)さんによるTED動画が目に入った。この『アーティストになろう、今すぐに!』を見て「同じことを考えている人がいる!」と感動した。僕は食うため(だけ)じゃなくて、誰もが作家であるべきだ、と思っている。ヨンハさんも「誰にでも複数のアイデンティティがあって少なくともそのうち一つはアーティストであってほしい」という。人に見せる見せないに関わらず誰もがアートを実践する、そういう未来を望んでいる。

Young-ha Kim: キム・ヨンハ: アーティストになろう、今すぐに!

ヨンハさんは「誰もが生まれながらアーティストだ」と語る。学生に「いちばん幸せだった瞬間は?」と文を書かせると、幼い頃の芸術体験について書くことが多いという。

ピアノを初めて弾いたとき、初めて撮った写真を現像したとき。みんなアートに幸せを感じていた。でもそんなアートとの幸せな時間は長く続かない。「不幸なことに僕たちの中にある創造性は芸術の抑圧者との戦い方を覚える前に息の根を止められてしまう」。創造性が閉じ込められたとき、その自己表現の渇望は抑圧された形であらわれる。半分笑い話ではあるが、物語を紡ぎ出すことのできたかもしれない人が一晩中インターネットで騒いでいる。

アートこそが究極のゴールで、自分を救ってくれるものだ。自分を表現して楽しくなれる。でもそのとき親や配偶者が横槍を入れる、水を差すかもしれない。「稼げもしないのに何のために?」これは悪魔の呪文だが、アートは何かのためにやるものではない。これには「面白そうだからよ! 君も何かやってみたら?」と返そうとヨンハさんは語る。

では僕たちは何をすべきなのか? ヨンハさんはモダンダンスの先駆者マーサ・グラハムの言葉で締めくくる。「JUST DO IT」と。

キム・ヨンハさんの小説『殺人の記憶法』は、殺しと表現が重なってくる作品だった。認知症が始まった元・殺人鬼の主人公が、義理の娘を狙っていると思しき若い殺人鬼と密かに戦いを始める。主人公の記憶や認識のおぼつかなさが恐ろしいのだが、彼が殺人衝動を(おそらく)落ち着かせたのは、カルチャーセンターで詩を学び始めてからだった。彼の殺人記録や告解を、詩作をともにする仲間は芸術的表現として評価する。ある意味で、生き延びるための表現という意味では、それも的外れではなかった……という話だ。

口座残高がマイナスになってどうしようもなかった30代前半の高円寺時代、あるいは鬱で休職した新卒のころ、僕は詩や小説や漫画で一発当てようとした。当然のごとく、一発も当たらなかった。海猫沢めろんさんも言っていたけど、創作にはどこかそういう救いがあるように見える。

僕は神戸連続児童殺傷事件や秋葉原通り魔事件の犯人たちと同じ「キレる17歳」世代である。少し上の世代だけど、同じく就職氷河期世代の、京アニ放火事件を起こした青葉真司にしても、みんな本を書いたり掲示板に書き込んだり賞に応募したりしている。彼らのしたことを心から嫌悪するが、「論」や「作品」の置き場が社会のどこにもないとき、社会で犯罪とされる行為に及んでしまうかもしれない……とも思う。『殺人の記憶法』の主人公のように(それを認めるつもりはないが)犯罪が表現になってしまう。

非正規雇用が増え、格差が大きくなった社会構造、ネットで誰もが発言できるとはいっても結局スクールカースト構造が変わらないような社会で承認欲求の生きどころがなくなり、爆発する場合がある。

多くの人はその一線を超えない。ただ、同じとはまではいわないが、表現の置き場がないストレスを抱える人は多いのではないだろうか。

誰にも認められず何者にもなれない辛さは僕も同じく味わった。ただ、僕の場合はZINEをつくることでそのフラストレーションが少しずつ解決されてきた。最初のコミティアで出した、よく分からない詩と音楽のCD-ROMを買ってくれた3人のお客さんのことは忘れられない。友人と作った批評誌がコミケで50部完売したときの嬉しさも。初めて書いた小説が売れなかったさみしさと、書き上げた満足感も。

そしてDIY BOOKSを始める前に書いた『武庫之荘で暮らす』を多くの人に読んでもらい、考えを共有できる喜び。

100万円払って買い取るような自費出版や、受かるか分からない賞への応募だけが創作の道ではない。それはそれで一つの道だけど、一発当てる発想を切り替えるべきだと思う。弁当をつくるように、ただ書く。ちょっと人に見せてもいい弁当になったら見せる。評価をもらう。切り替える。

コンビニコピーでA42枚を折って、A5の8ページの小さな本をつくって配る。今度は印刷所に依頼して50部刷ってみる。あるいはリソグラフで刷って製本してみる。ZINEのイベントに出て頒布する。そこで元をとる価格をつける。

そういうふうに、じわじわ作る方法がいい。僕はそう思っている。キム・ヨンハさんが言うように、誰しもがアーティストである。あなたにしかない経験こそが価値である。それを世に出したとき、波紋のように表現が広がって伝わるべき人にはきっと伝わる。

まずは書くこと。書く人と場を増やすこと。書いたものの置き場をつくること。ひとまずは私はこの道が正しいと思って、思い込んでやってみたい。JUST DO IT.

カテゴリ随筆 関連タグ:アート, 本, 韓国, 韓国文学

何度も話して定番化した話はどこか「ウソ」になる

2024年8月15日

UnsplashのKen Whytockが撮影した写真

言葉にも鮮度がある。賞味期限がある。そして、言葉にできないことのほうが大半である。日々書いているとつい忘れてしまうが、大事なことだ。

「何度もインタビューを受けていると、言っていることが本当かウソか分からなくなる」

あるインタビュイーに言われたことがある。ニュアンスで書いているので、実際は違う言葉だったかもしれない。ただ要旨としては、自分の作品が話題になり取材を受けることが増えたが、同じような質問を受けて答えるたびになんだか答えがテンプレート化していって、本当に表現したいことからずれているような気がする……ということだったように思う。

『文学としてのドラゴンクエスト』を出版されたあと、著者のさやわかさんもイベントで同じようなことを言われていた。ただし聞き手の立場として。『文学としてのドラゴンクエスト』は、国民的RPGといわれる『ドラゴンクエスト』の作者・堀井雄二さんの現実とフィクションのかかわりや、同郷で同時代に同じ早稲田大学のキャンパスにいた、村上春樹さんとのリンクなどを分析した本だ。確かイベントでさやわかさんが話したのは「『なんで堀井さんに直接インタビューしないんですか』って言われることがあるんだけど、本人は何度も同じ話をしているからどこかウソになっていることがあるんです」といったことを言われていた。だから、『ドラクエ』が出た当時の雑誌『ファミ通』のインタビューとか、関係者の証言とか、別の史料(資料)をあたる。その姿勢にライターとして感動した。これはインタビュアーとして自分もずっと仕事をしていて感じることだ。たとえば新作の映画のテーマや撮影の工夫を映画監督本人に聞いても、監督はプロモーション時期に何度も同じ話をするわけで、どうしてもどこかで聞いたような話になってしまう。芸人のエピソードトークや噺家の落語はやはり毎度笑わせる技術があるが、話芸を本業にしない人にはこれは難しい。かつ、聞かれて答える話は笑いが目的じゃないわけだ。その「話」の中に伝えるべき本質があるのだが、実はその大部分は言語化できない部分が多いのではないか。

堀井さんならなんでゲーム開発するようになったのか。手前味噌だが、僕ならなんで本屋をやっているのか。何度も答えているうちに、言葉にできない部分が捨象されてしまって、言葉が中心になってしまう。ところが言葉というのは現実や過去を代替して表現するものでしかないから、当然言葉にできないニュアンスは抜け落ちる。それなのに言葉が同じプログラムとして「再演」される。さやわかさんがこういった取材方法を信用していない、というのは書き手としてとても誠実だと思った。言葉にも鮮度がある。獲れたての魚のように。それに、その言葉が本当に真実をとらえているかは分からない。なのに魚は放っておけば鮮度が落ちていく(冷蔵庫に入れたって)。これは自分の体験や感情を書くときでもそうだ。真にその本質を言葉にできるかは分からない。雑誌『BRUTUS』の編集長・西田善太さんがいうように「好奇心を人任せにしない」のが大事だ。

『ドラクエ』がなぜ同時代で抜きん出たゲームタイトルになったのか。僕はなぜ本屋をやろうと思ったのか。そういう出発点となる動機を忘れないようにする。その動機(仮説といってもいい)に沿って材料を集める。信頼できるソースをあたる。意外に、自分の外に真実がある場合もある。というより、その方が多い気もする。人間は他者との関係の中で言葉をつむぐわけで、その言葉は相手との関係性や聞く姿勢によっても変わりうる。自分の本当の言葉は、他者が持っている場合も多いのである。

カテゴリ随筆 関連タグ:インタビュー, ドラクエ, 文学

【重大ニュース】5年通った喫茶店(琥珀屋)のBGMが変わった

2024年8月14日

琥珀屋コーヒー

個人的に衝撃的なニュースだったので書かざるを得ませんでした。兵庫県尼崎市・武庫之荘南口5分ぐらいにある喫茶店・琥珀屋珈琲のお話です。

琥珀屋には5年近く通っています。2階建てで、壁の漆喰が地中海っぽい雰囲気を醸し出していて、落ち着いた空間でコーヒーや軽食がいただけます。おすすめは炭焼珈琲と、たまごサンドです。サンドはミニサイズでも一人前の量が出てくる。

僕はよく仕事や休憩に利用させてもらっています。

店員のおばさまは、いつも鷹揚に接していただいています。お茶目でほんわかした雰囲気の方です。マスターはほとんどお話したことはないですが、ダンディなイメージ。あとはお若い男性や女性の店員さんがおられます。

ただ1点だけ個人的に気になる点がありました。それが音楽。BGMがなんというか、お店や店員の方の雰囲気に合っていない気がしたのです。

BOSEのスピーカーから流れるのは、イギリスかアメリカの低音やや強めのエイトビート、ダンスナンバー。「あのおばさま、実はこういう曲が好きなんだろうか?」とずっと思っていました。

ところがここ最近数回行ってみると、BGMがカントリー調になっていたのです。断然こちらの方が空間に合うし、仕事や食事にも集中できる。

お会計のときに思わずおばさまに、

「BGMの雰囲気が変わったみたいなんですけど、何かきっかけがあったんですか?」

と聞くと、

「いえ、USENの機械いじってしまったら変わったみたいなんですよね。前の方が良かったですか」

と返ってきたので、

「今の方がお店に合ってますよ」

とお伝えしました。

僕は5年近くあのBGMを聞いていたわけで、琥珀屋の世界観があれも一部含んでできあがっていました。でもそこに実は店員さんはこだわりはなかった。

というより、琥珀屋のおばさまの、そのぐらい柔軟な感じが僕は好きなのかもしれない。そう思いました。

最近琥珀屋に行くと、ずっとカントリー調の曲が流れています。そのたびにニヤリとしてしまいます。

カテゴリ随筆 関連タグ:コーヒー, 喫茶店

餃子の王将と美容院と、自信について。

2024年8月13日

餃子の王将

先日、散髪に行ってきました。土日に予定が入ることが多いので、最近は平日の仕事の合間を見つけて行きます。そのたびに「今日はお休みですか?」なんて聞かれて、適当に「ええ、まあ」と返すんです。「実は自分ひとりで会社をやっているんです」とか「自営業なんですよ」とか答えた方がいいのかなと思ったりもします。

昔から床屋さんや美容院であまり会話をしたくないというか、あまり素性を知られたくない気持ちがあって。あと、どうしても「僕みたいな者が美容院に行ってすみません」というような恥ずかしさもあります。そういった理由で、あまり深く話さないようにしています。


話がそれましたが、僕がよく行く美容院は30分でカットしてくれます。お客さんも多くて混んでいますが、みなさん腕は確かです。

その後お腹が空いてしまったので、餃子の王将に行きました。私の最寄り駅の「餃子の王将」武庫之荘店は、店員の方がすごくテキパキしていて良いお店です。ほかの店舗に行ったとき、料理が出てくるのが遅かったり、連携が取れていないなと感じたり、料理が冷めていたりして少しがっかりしたことがありました。武庫之荘店はすごくスピーディで、料理もアツアツで出てくるんですよね。私は中華セットやレバニラ、回鍋肉や餃子を組み合わせて食べるのが好きなんです。

以前、餃子の王将が最近業績好調だというニュースを見ました。その分析として、AIや自動化の時代にあって、人間が手作りでシンプルに提供していることが評価されている、という話がありました。それはその通りだろうなと思います。料理が速く出てきて美味しいですし、目の前で調理しているのが見えるのも魅力的です。

定期的に「フェア」のセットをやるのは、もちろん売り上げを上げるためでもあるでしょうが、作る量が増えることでスタッフのスピードや腕前が上がる効果がある、と聞いたことがあります。

餃子の王将に限らず、天下一品など同じチェーン店でもお店によって味が違うことがあります。忙しいお店は美味しい気がします。もしくは忙しくて腕前が良くなってうまくなって結果繁盛している……ということなのかもしれません。

先ほどのフェアの話のように、たくさん作ることで腕が上がる、というのはある程度どの業界でも共通する部分がありそうです。

私の通っている美容院は若いスタッフの方でも、たくさんのお客さんの髪をスピーディーにカットしているからか、経験値が高く、上手な方が多いと感じます。もちろん、席数や技術によって必ずしも比例するわけではないと思いますが、やはり数をこなすというのはどの世界でも大事なことだなと改めて思いました。

昔働いていた会社で、「平田は成功体験がないもんな」と言われて、すごく落ち込んだことがあります。実際、当時は成功体験がありませんでした。その言葉が10年以上、呪いのように心に残っていました。だいぶ後になってから成功体験らしきものができて、ライターや編集者、ディレクターとして独立し、法人化もできました。もちろんどこかに成功体験といえるものはあったのかもしれませんが、自信が出てきたのはやっぱり数をこなしたからだと感じています。

書いた記事の数が500本以上になり、5000記事ほど編集してきました。その経験が、自分のスピードを上げてくれたんだと思います。もちろんスピードだけが重要ではありませんが、最近40代になり、衰えを感じることも増えてきました。スピードは下がる一方ですが、それでもやらなければ生きていけないので、やるしかないです。その限られたリソースと集中力の中でなんとかなるのは、自分が数をこなしてきた経験からにじみ出るもののように思っています。

仕事の質が担保できないと仕事にならないので、そういう意味で数をこなすことの大切さを実感しています。

これからも、ある程度の数をこなしていかなければならないと感じています。仕事のご相談があれば、どうぞお気軽にお声掛けください。

カテゴリ随筆 関連タグ:気づき, 随筆, 餃子, 餃子の王将

小林書店閉店の日。最後まで人に施す姿勢に、店の人生があらわれていた

2024年6月4日

小林書店

小林書店が5月31日に閉店した。お昼からあった、お別れ会ならぬ「お礼の会」に伺った。

小林書店は72年続いた兵庫県尼崎市・立花の本屋だ。全国的にも有名で……詳しいことは『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』やBookLinkのこちらの記事を読んでいただければと思う。

店主・小林由美子さんいわく「最終日にさみしいのは嫌だし、ずっと紅白の布を飾って振る舞い酒をして、華々しく終わりたい」ということで、今までの感謝をする「お礼の会」になったそうだ。

※『町の本屋』のあとがきも記事にしたのでよろしければこちらも。

お昼過ぎに雨が降ってくる。シャッターが開くのを末人たちが傘をさす。本だけでなく傘も売ってきた小林書店にはなんだかふさわしいのかな、と思った。

テレビの密着カメラ、新聞紙の記者さん、常連のお客さん、イベントでかかわる方たち、いろんな人が来られていた。

シャッターがあいて、由美子さんと昌弘さんの姿が見える。もう由美子さんは泣いている。なんとも言えない気持ちになった。閉店の報せを聞いたときは僕も思わず泣いてしまったけれど、今は由美子さんが望むように「よくぞここまで続けてこられましたね(というのは大変おこがましいけれど)、お疲れ様でした」という気持ちが強かった。

小林さんご家族や協力されるみなさんがおいしいお酒やちくわを振る舞ってくれた。お二人に花束を渡して僕は帰らなければいけなかったけれど、まだまだお話したいことはたくさんあった。

最後の日に、人に施すという姿勢が小林書店のすべてをあらわしていると思う。

自分の人生の終わりは映画の『ビッグ・フィッシュ』みたいに、これまでの人生のオールキャラクターが集まって棺桶に花を入れてくれたら嬉しいと思っていた。そこに今は会社という「法人」、店という人格が増えた。自分の店の終わりはどうなるだろう。そこに自分や店の在り方があらわれる。考えていくことがまた増えた。

DIY BOOKSを開く前に小林書店に伺って相談して以来、由美子さんは何度も目をかけてくださった。昌弘さんにも「本屋は儲からんしやめた方が良い」とアドバイスもいただいた。

そのあとはっきり分かったのは「本屋は本当に続けるのが難しい」ということだった。結果的に、DIY BOOKSは本来の「つくる」方の意味での本屋に集中すべく、ほとんど本を売る本屋ではなくなった。実際のところ、本業をしながらの開店となったが、本屋自体で収益を得るのがかなり難しかったのは営業形態変更の理由の一つにある。

だからこそ、小林書店が続いてきたことのすさまじさが(ひよっ子ながら)理解できる。

そして由美子さんの売る力。トーク力。

僕が新卒で入った某通信教育の会社でダイレクトメールをつくったり、雑誌の販促をしたりする仕事に就いて学んだ真理は、商品そのものじゃなくて、ベネフィットを売ること。相手に合わせて。ダイレクトメールやメルマガ、SNSだったらそれが1対nでできる。でも由美子さんはそれを1対1でとてつもない回数やってこられた。

結果的に数百部、数千部を売る。その原点には、人と本に向き合う誠実さがある。

この前、「これからの町の本屋」というイベントで由美子さんや他の本屋さんと話させてもらったとき、いかに僕が本を売るのがうまくないかという話になった。由美子さんは「おいおい教えていく」と言ってくださったが、そろそろ真剣に聞きに行かなければいけない。さらに本屋として、人間として身の振り方をいまめちゃくちゃ考えてるんです、と。

正直なところ、僕はあの日以来結構凹んでいる。ウソをつけない。分かっていたことだけれど、小林書店が開かないというのはさみしい。でも遊びにいこうと思う。

小林由美子さん、小林昌弘さん、ご家族のみなさん、かかわってきたみなさま、本当にお疲れ様でした。

また会いましょう。

カテゴリ随筆 関連タグ:小林書店, 町の本屋

弁当と随筆。身を立てる目的以外にも、書く意味はある

2024年5月9日

お小遣いをやりくりするために(そして健康のために)弁当を最近作っている。たいていは昨日の残りものにソーセージや卵料理を足すぐらいだ。ふと思ったのは、「随筆も弁当のようなものではないか」ということだ。あるいは俳句もそうかもしれない。商売ではない弁当というものは基本的に自分や家族、身近な人のために作る。InstagramやX(旧Twitter)に上げようときれいに作る人もおられるが、そうでもなければそこそこの見た目で作る。自分だけのための弁当だったら、本来は人に見せるためではないから、見ばえをそこまで気にする必要はないはずだ。人に見せることを意識しすぎるとつらくなる。続かなくなる。

『パターソン』的な在り方

大好きな映画『パターソン』では、主人公のバスドライバー・パターソン(アダム・ドライバー)が、毎日手帳に詩をしたためるさまが描かれる。妻は「出版してほしい」と言うが、パターソンは乗り気ではない。バスの出発前に詩を書き、公園の滝を眺めながら妻の作ってくれた弁当を食べるのが好きなだけなのだ。

日記や随筆や俳句にしても、もちろん誰かに届けるために書かれるものは価値のあるものがあろうが、SNSやブログに上げるために書くことが苦しくなるぐらいだったら、自前の弁当を作るように書くぐらいが、少なくとも僕にはちょうどいい。

科学と俳諧の人・寺田寅彦

僕が一番好きな書き手はおそらく、寺田寅彦である。寺田寅彦は東京大学や理化学研究所に所属した物理学者だ。関東大震災後の「震災は忘れたころにやってくる」というのが寺田の発言ともされているが、確かではない。寅彦はX線についてなどのほかに、ヒビの割れ方や金平糖の突起の作られ方の研究もした。

夏目漱石の門下生でもあるが、ほとんど漱石は対等につきあっていたといわれる。寅彦は俳句もたしなむし、『団栗』『電車と風呂』など写生文・随筆も一級品である。日常で感じる不思議や「あはれ」を句や文にするのと、科学的な研究をするのは不可分なものというか、同じところから出発しているのだろう。

寅彦にしても、パターソンにしても、書くことが本業ではない。それで身を立てようとは思っていない。ただ書き続けている。それは弁当を作るようでもある。誰かに見せるためではなく、ただ食べるために。そして自分にしか分からない彩りを感じるために。

それが大事だ。生活の中に書く時間があること。自分の心の動きを書きとめること。

雑談のような文章の在り方を

今の時代ほどみんなが書く時代もないだろう。SNSにブログに、チャットにメールに。AIが手伝ってもくれるけれど、恐ろしいほど目的に支配されている。コンバージョンをとるために、上司の承諾を得るために。そういう文が多い。

コロナ禍を経て、多くの人が気がついたのは雑談の重要性だろう。僕は独立してからずっとリモートで働いてきて心身を病んだ。隣にたわいもない話ができる同僚がいる、というのはいいものである。組織で働くのはいやなんだけど……。

それと同じで、目的ばかりの文章を書くというのも疲れるのである。僕はテキストコミュニケーションに疲れてつくづく書くのが嫌になった時期がある。文字がいやになり、声がいい、とも思った。

でもパターソンや寅彦を知り、文を書くにしてももっと穏やかな在り方があると分かった。

別に文章で食おうとか、この文章ですごいと思ってもらおうなんてそんなことはしなくてもいい。ただ自分にしか、自分の興味や言動でつくられる「系」にしか放てない輝きがある。それは書かれるべきだ。いきなり清書でなくてかまわない。自分にしか読み取れない文字で手帳に書き留めておく。それをいつかまとめて書く。それが結果的に人に見せられそうになったら、発表したらいい。

そういう、書く時間と習慣が弁当づくりのようにあってほしいんである。弁当といっしょで、三日坊主になりがちではある。そうならないためには、冷凍食品や昨日の残りで弁当をつくるように、「こんなんでいい」レベルの文をたくさん書くことだと思う。そんな文でも、確実に心が動いたのなら、立派な足跡である。その足跡が他の人を動かすこともあるのである。

カテゴリ随筆 関連タグ:パターソン, 寺田寅彦, 弁当, 随筆

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