「アーティストになろう!今すぐ」のキム・ヨンハによる『殺人の記憶法』。承認欲求と表現のゆくえ

「アーティストになろう!今すぐ」のキム・ヨンハによる『殺人の記憶法』。承認欲求と表現のゆくえ

ソーシャルゲーム『ブルーアーカイブ』統括ディレクターのキム・ヨンハ氏について調べようとGoogle検索したところ、同名の作家キム・ヨンハ(金英夏)さんによるTED動画が目に入った。この『アーティストになろう、今すぐに!』を見て「同じことを考えている人がいる!」と感動した。僕は食うため(だけ)じゃなくて、誰もが作家であるべきだ、と思っている。ヨンハさんも「誰にでも複数のアイデンティティがあって少なくともそのうち一つはアーティストであってほしい」という。人に見せる見せないに関わらず誰もがアートを実践する、そういう未来を望んでいる。

 

ヨンハさんは「誰もが生まれながらアーティストだ」と語る。学生に「いちばん幸せだった瞬間は?」と文を書かせると、幼い頃の芸術体験について書くことが多いという。

ピアノを初めて弾いたとき、初めて撮った写真を現像したとき。みんなアートに幸せを感じていた。でもそんなアートとの幸せな時間は長く続かない。「不幸なことに僕たちの中にある創造性は芸術の抑圧者との戦い方を覚える前に息の根を止められてしまう」。創造性が閉じ込められたとき、その自己表現の渇望は抑圧された形であらわれる。半分笑い話ではあるが、物語を紡ぎ出すことのできたかもしれない人が一晩中インターネットで騒いでいる。

アートこそが究極のゴールで、自分を救ってくれるものだ。自分を表現して楽しくなれる。でもそのとき親や配偶者が横槍を入れる、水を差すかもしれない。「稼げもしないのに何のために?」これは悪魔の呪文だが、アートは何かのためにやるものではない。これには「面白そうだからよ! 君も何かやってみたら?」と返そうとヨンハさんは語る。

では僕たちは何をすべきなのか? ヨンハさんはモダンダンスの先駆者マーサ・グラハムの言葉で締めくくる。「JUST DO IT」と。

キム・ヨンハさんの小説『殺人の記憶法』は、殺しと表現が重なってくる作品だった。認知症が始まった元・殺人鬼の主人公が、義理の娘を狙っていると思しき若い殺人鬼と密かに戦いを始める。主人公の記憶や認識のおぼつかなさが恐ろしいのだが、彼が殺人衝動を(おそらく)落ち着かせたのは、カルチャーセンターで詩を学び始めてからだった。彼の殺人記録や告解を、詩作をともにする仲間は芸術的表現として評価する。ある意味で、生き延びるための表現という意味では、それも的外れではなかった……という話だ。

口座残高がマイナスになってどうしようもなかった30代前半の高円寺時代、あるいは鬱で休職した新卒のころ、僕は詩や小説や漫画で一発当てようとした。当然のごとく、一発も当たらなかった。海猫沢めろんさんも言っていたけど、創作にはどこかそういう救いがあるように見える。

僕は神戸連続児童殺傷事件や秋葉原通り魔事件の犯人たちと同じ「キレる17歳」世代である。少し上の世代だけど、同じく就職氷河期世代の、京アニ放火事件を起こした青葉真司にしても、みんな本を書いたり掲示板に書き込んだり賞に応募したりしている。彼らのしたことを心から嫌悪するが、「論」や「作品」の置き場が社会のどこにもないとき、社会で犯罪とされる行為に及んでしまうかもしれない……とも思う。『殺人の記憶法』の主人公のように(それを認めるつもりはないが)犯罪が表現になってしまう。

非正規雇用が増え、格差が大きくなった社会構造、ネットで誰もが発言できるとはいっても結局スクールカースト構造が変わらないような社会で承認欲求の生きどころがなくなり、爆発する場合がある。

多くの人はその一線を超えない。ただ、同じとはまではいわないが、表現の置き場がないストレスを抱える人は多いのではないだろうか。

誰にも認められず何者にもなれない辛さは僕も同じく味わった。ただ、僕の場合はZINEをつくることでそのフラストレーションが少しずつ解決されてきた。最初のコミティアで出した、よく分からない詩と音楽のCD-ROMを買ってくれた3人のお客さんのことは忘れられない。友人と作った批評誌がコミケで50部完売したときの嬉しさも。初めて書いた小説が売れなかったさみしさと、書き上げた満足感も。

そしてDIY BOOKSを始める前に書いた『武庫之荘で暮らす』を多くの人に読んでもらい、考えを共有できる喜び。

100万円払って買い取るような自費出版や、受かるか分からない賞への応募だけが創作の道ではない。それはそれで一つの道だけど、一発当てる発想を切り替えるべきだと思う。弁当をつくるように、ただ書く。ちょっと人に見せてもいい弁当になったら見せる。評価をもらう。切り替える。

コンビニコピーでA42枚を折って、A5の8ページの小さな本をつくって配る。今度は印刷所に依頼して50部刷ってみる。あるいはリソグラフで刷って製本してみる。ZINEのイベントに出て頒布する。そこで元をとる価格をつける。

そういうふうに、じわじわ作る方法がいい。僕はそう思っている。キム・ヨンハさんが言うように、誰しもがアーティストである。あなたにしかない経験こそが価値である。それを世に出したとき、波紋のように表現が広がって伝わるべき人にはきっと伝わる。

まずは書くこと。書く人と場を増やすこと。書いたものの置き場をつくること。ひとまずは私はこの道が正しいと思って、思い込んでやってみたい。JUST DO IT.

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平田 提
(Dai Hirata)

DIY BOOKS店主。株式会社TOGL代表取締役社長。Web編集者・ライター。秋田県生まれ、兵庫県尼崎市武庫之荘在住。早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業。ベネッセコーポレーション等数社でマーケティング・Webディレクション・編集に携わり、Webサイト・メディアの立ち上げ・改善やSEO戦略、インタビュー・執筆を経験。2021年に株式会社TOGLを設立。2023年10月からDIY BOOKSを開店。リソグラフを使ったZINEづくりなどを続けている。

株式会社TOGL

Instagram@diybooks