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Home / Archives for diybooks_tenshu

diybooks_tenshu

【試し読み】寄稿した卒業生のZINE『シッパイイッパイ』販売会があります【2/24】

2025年2月12日

シッパイイッパイ

こんにちは。DIY ZINEスクール1期生のシキタリエさん(編集)と川瀬亘さん(デザイン)によるZINE、『シッパイイッパイ』の販売会が2025年2月24(月・祝)に行われます。当日はZINEスクール4期が2階で開催中で僕はそちらにおりますが、終わったあとにお顔を出す予定です。

このZINEに僕も寄稿させてもらっているんですが、良いZINEです。いろんな人のシッパイが集まってて、ほっこりする。シッパイしますね。にんげんだもの。

装丁もよくて、表紙は白黒で印刷されているところに蛍光ペンで塗っているんです。当日もしかしたらそういうワークショップもあるかも。

許可をいただいたので、僕が寄稿した文をこちらにアップしておきます。参考までに! 祝日ですので、予定が合えばぜひお越しください。普通に開店していますので、もちろんそれ以外のZINEや書籍もお買い上げいただけます。

「ふたりのサンタ」

 今も思い出す、小学校のころに経験した失敗が「ふたりのサンタ」事件である。当時、恐らく秋田県秋田市の小学校に通っていた三年か四年のころ、年に一回あるクラス発表会で劇をやることになった。僕が劇をやりたくて手を挙げたら、同じ班のみんなは特に意見がなくて劇に決まった⋯⋯ぐらいの空気感であった。それもあって、僕が脚本を担当することになった。

 ともあれ、年末の発表会に向けて準備は着々と進む、僕らの班以外は。あれだけ劇がやりたかったのに、僕は脚本を書けずにいた。演目を事前に先生に届けなくてはいけなかったので「ふたりのサンタ」というタイトルだけ先に送っておいた。

 当日。三十分前になっても脚本は一行もできていない。僕以外のメンバーも焦って、僕にせっつく。でも顔面蒼白の僕からは何も出てこない。とりあえずサンタの格好をした僕を含めた二人と、トナカイ数人が、段ボールでつくったソリだけが置かれた舞台(教壇)に上がっていく。さあなぜ「ふたりのサンタ」なんだ。時間軸の違う二人が出会う? どちらかがニセモノってことにする? そのぐらいの話は誰かと直前まで話していた。コント師でもない、ただの小学生にこんなしんどい場を乗り切れるだろうか?

「さあつぎは三班の発表です!」と先生に呼ばれて出ていくも⋯⋯即興劇はできるわけがない。「ごめんなさい、間に合いませんでした」と言って、場が白けて終わったのを覚えている。メンバーにも先生にも、あとで怒られた。申し訳ない気持ちと悔しさでいっぱいだった。

 僕はそれで学ばず、高校に入ってから「映画研究会」を立ち上げて文化祭で映画を出そうとしたけど、結局当日まで撮らなかった。大学の映画サークルでも脚本が二年書けなかった。向いていないことをしようとしてきた人生だった。今でもそういうところはあるけれど。

 「ふたりのサンタ」の経験からそうなったのかは分からないが、今の僕は「沈黙をどうにかする」スキルは持ち得ていると思う。編集者・ライターとして色んな人にインタビューをしたりトークイベントをしたりするようになって、アドリブ力がついた。その場で面白い話を引き出すことに歓びを覚える。そうしないと生きてこられなかったからでもあるが、同じような場を何とかするようにして力に気がついたのかもしれない。

 会社の事業も無計画で良くないのだが、台本がないほうが僕には向いてるんだなとしみじみ思う。

カテゴリZINE, お知らせ, イベント 関連タグ:zine, お知らせ, イベント

『論理的思考とは何か』名著誕生。何がロジカルかは目的・場面・文化で変わる

2024年12月26日

論理的思考とは何か

渡邉雅子さんの『論理的思考とは何か』(岩波新書)を読んだ。すごい本。2024年読んだ本の中で一番の衝撃を受けた。

「ロジカル」「論理的」といわれると、「主張・根拠・結論」というアメリカ的な論理構造を思い浮かべることが多い。いわゆるPREP法のような。

ところが目的、国・宗教・思想、場面によって適切な論理手法は異なり、多元的に使い分けることが大事だと著者は言う。

各文化で違う、作文教育と論理的思考の関係

同じ4コマ漫画を見せても、日本の子どもは時系列や感情で内容を捉えるのに対し、アメリカの子どもは怒った事件の結論の記述から始める。

その論理的思考には作文教育の影響があり、その背景には社会的な要請があるようだ。

論理的であることは「読み手にとって記述に必要な要素が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である」と筆者は語る。

つまり、論理的であることは、社会的な合意の上に成り立っている、と。

経済・政治・法技術・社会…4つの論理的思考

ウェーバーの議論を受けて、論理的思考のタイプは「経済」「政治」「法技術」「社会」の4つに大別できると筆者はまとめる。

さらにアメリカではエッセイ(経済)、フランスではディセルタシオン(政治)、イランのエンシャー(法技術)、日本の感想文(社会)と、作文教育と論理構造の違いの関連性が語られる。

アメリカの応用言語学者カプランによる、言語別の生徒の論理展開の違いを表した図が面白い。

アメリカ的な「5パラグラフエッセイ」で結論から「逆向き」に構築する論理は、競争社会の中で効率的に最大限の利益を追求する背景から生まれたと考えられる(経済)。

フランスのディセルタシオンはヘーゲル的な正→反→合の構成を求められ、必ず反論を経て、それを複合して次の問いを残す形で終わる。それはフランス革命後の共和制の中で政治参画する市民を育てるための社会要請がある(政治)。

イランの「エンシャー(文学的断片)」はコーランの真理を揺るがないものとし、流れや表現の美しさを求め、最後はことわざや神の感謝で終わる。イスラーム法に基づく法学者の判断は個人によるものではなく、コーランの膨大な解釈を適用するものである(法技術)。

日本の感想文は利他や共感の精神を育み、中学校以降で習う意見文は自分の意見に対する反論も加味することで社会秩序との調整が、高校以降の小論文は前提に対して別の角度から述べさせることで社会改革の視点が求められる(社会)。

日常に必要とされるレトリック

著者がアリストテレスの時代からたどるように、論理学は演繹・帰納、アブダクションを利用するが大半の論理が適用される場面はレトリックである。

レトリックは必然の対義語である「蓋然」的推論が元だ(すべての場合に正しくはないが一般的には正しいとされる事柄を根拠とする)。

怒りや対立は、感情のすれ違いや意見の違いの前に、そもそも取っている論理手法が違うから怒る場合もあるのではないかという観点が面白い。

※さらにいえばウェーバーのいう、形式合理性と実質合理性の対立もある。目的を疑わず手段を議論する前者と、目的自体を疑う後者との違い。

すべての論理形式は万能ではない。だからこその使い分けを著者は薦める。

膨大な資料を元に根拠を例示し、短い文量でまとめきった著者の仕事はすごみがある。

個人的に今書いている本のテーマの一つ「経済合理性」や、山本七平→阿部謹也→鴻上尚史の流れにある「社会と世間」の問題、一神教と多神教の世界観の違いにも共鳴する内容で、大変興味深かった。

感想文は生活綴方の思想を受け継いでいるのか

日本の感想文は教師・芦田恵之助を中心とした、戦前の生活綴方運動から端を発している。生活記録を通して、何を感じたか、時系列の変化を記述する。そこには禅やマルクスの思想なども反映されているのだが、生活綴方では内容の真偽や奥深さは評価されない。その過程が重視される。その背景には自然としての子どもをかわいがる思想がある。

生活綴方運動とリンクするのが、写生文である。柄谷行人の『日本文学史序説』の後半では、正岡子規や寺田寅彦の写生文・随筆を俳諧に連なる日本的な世界を把握する方法として分析している。

世界(世間)の無常(常にエントロピー増大・変化する)に対して「あはれ」を詠うのが日本的な感情・写生文にも近いものであって(そしてそれは「カーニバル的なもの」で、その他諸国にも存在する概念)私と公の間のあいまいさ、間主観的なものを求めようとする動きに思える。

つまり「私」が装置として介在する意味はあるが、必ずしも「私の自我」がなくてもいい。

※俳人の黛まどかさんがフランスで俳句を教えるとなったときに、生徒がやたらと「je(私)」を入れようとした、という話があった。一方で、ディセルタシオンでは「私」は入れないという厳密なルールがある。面白い。確かに俳句では「私」はわざわざ言わない。

ダ・ヴィンチ以降の遠近法や、中国から連なる日本の山水画にあるように、空間認識にも信仰の問題が影響している。絶対者を想定した原理の元に空間を捉えて再構成しようとする一神教の考え方と、自然の中での個人の主観的な風景を捉えようとする多神教的日本の在り方は違う。

※谷崎潤一郎も、「大陸と日本」の物語の論理構造の違いを述べていた。

個人的に現代の「感想文」には生活綴方の精神の一部しか受け継いでいないようにも思う。書くべきは「私の感想」というより、俳句・写生文的に「私を通過したこと」、つまり生活についてなのではないかと思うのだ。

※地方の子どもたちが地域の貧窮した状況を綴ったことで統制が効かなくなると政府には捉えられた側面もあったようで、生活綴方運動は1940年代に下火になった

※だから写生文や随筆を僕はとてもアナーキーな行為だと思っているし、だからこそDIY BOOKSの活動を通して随筆家が増えた方がいい、と思っている。

日本では「和」を保とうとする概念が支配的で、それは「意見文」のように場を調整する考えに至るわけだが、ときにそれは付和雷同な人間を増やすことになりかねず、空気を読んで忖度を生みかねない危険性もはらむ。

日本の論理とSNSやビジネスの論理はアンマッチが多いのでは

どうも日本の風景と繋がる根本的な論理と、政治・会議、SNSなどシステムの在り方がマッチしていないように思うのである。というより『論理学的思考とは何か』で書かれているような、場面に応じた論理手法の使い分けができていないことが問題だろう。

X(旧Twitter )が他の国より日本で人気なのは、「あはれ」を詠いやすいつくりだからだと思う。ただそこに拡散機能があるために、炎上して人の命まで奪うことになる。こんな機能は本来必要ない。無駄な世間(狭い意識の、ムラ社会)と対立を生み出している。

Twitterを生み出したジャック・ドーシーや、リツイート機能をつくったエンジニア、クリス・ウェザレルがそれを後悔しているように、本来は拡散など必要なかった。「新宿なう」「ゴーゴーカレーなう」でよかったのである。だがこれはアメリカの経済的な論理で生み出されたものだ。インプレッションがより多くなり、ユーザーも増える仕組み。ただここに日本の感想を述べる論理がマッチしていない(というより悪魔合体してしまった)。

ただ、いま多くの人がやっているようにXを使わなければいい。SNSをやめればいい。あるいは別のSNSに移ればいい。もしくはXにふさわしい論理手法で語れればいい(難しいのだが)。

現代で起こっている意見の対立の現場には、「もしかしたら論理手法自体の違いかもしれない」と一歩立ち止まるメタ認識がまず必要だ。それこそがムラ社会的な「世間」ではなく、大人な「社会」だと僕は考える。

演技力と、論理の使い分け

先日のM-1グランプリ第20回で優勝した令和ロマンの高比良くるまはその演技力を、マジカルラブリー野田や霜降り明星・粗品に評価されている(個人的には松井ケムリの「自分」でしかありえない在り方も好きである)。

MCが「その場の主語」になりがちな現場ではなく、自分を出しやすい場所を選び、その場その場で演技をする。それは八方美人や自分がないということではなく、しゃべくりや漫才コント、ネタの構成や演技を変えるようなものなのだ。

※個人的に、日本のお笑いはかなり高度なコミュニケーションの試行の宝石箱だと思っている。

大事なのは「相手に合わせた演技力」なのだと思う。自分の感じたことを、どういう手法で伝えるか。それをフラットに受け止めるか。違う意見を出せるか。そういう場が、社会がいいなと思う。

演技だからといって嘘ではなく、自分や相手をより活かすための手法である。それは論理的思考を使い分けるということにかなり近いのではないかと思った。

渡邉雅子『論理的思考とは何か』(岩波新書)

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※弊店で注文される方はお問い合わせください

カテゴリ書評 関連タグ:書評, 演技力, 論理, 随筆

ジャパンコーヒーフェスティバル2024in尼崎&「コーヒーと代筆」未公開文

2024年12月16日

ジャパンコーヒーフェスティバル2024in尼崎&「コーヒーと代筆」未公開文

阪神尼崎の駅北口で開かれていた、ジャパンコーヒーフェスティバル2024in尼崎に行ってきました。

ジャパンコーヒーフェスティバル尼崎。「コーヒーと代筆」でコーヒーを淹れてくれた中本さんのブース。
「コーヒーと代筆」でコーヒーを淹れてくれた中本さんのブース。DIY BOOKSの本を売ってくれた。ガサキベースで色を染めている靴下「グンソク」、器なども。尼崎城で知り合いのお子さんと一緒に遊びに行っていて中本さんは不在だった。そういうところも面白い。


全国各地で開かれているジャパンコーヒーフェスティバルの尼崎版で、地元のコーヒー店主や焙煎をされている方たちがその回のテーマに沿ってコーヒーを淹れてくれるイベントです。
他の地域は名物などが多いようですが、尼崎は「情」のエピソード。町の人から尼崎の「情」についてのエピソードを集めて、店主がコーヒーを淹れるという……高度な「遊び」をされています。
寒い中でしたが、おいしいコーヒーをいただけました。「流しのコタツ」なんかも置かれていて、アナログゲームをさせていただいたりして良い時間を過ごせました。

ジャパンコーヒーフェスティバル尼崎

日本コーヒーフェスティバル実行委員会の方に相談をいただき、DIY BOOKSでエピソードづくりをお手伝いしました。

コーヒーと代筆

「コーヒーと代筆」と題して、尼崎にゆかりのある方に来てもらい、当日イベントに参加された中本翔平さんがコーヒーを淹れ、僕が代筆をする……というもの。
当日お話いただいたのは5名の方。冊子には採用されていないけれど面白いエピソードもあるので、ぜひ読んでみてください。
「コーヒーと代筆」の日は翔平さんが器も味も瞬時にパッとイメージして選んで淹れてくれたんですがかなり高度な「芸」になっていて、また別の機会にやってみたいなあと思いました。

阪神尼崎駅前を見守る会

よく阪神尼崎の駅前を散歩するのですが、春から続く駅の北側の工事を、いつも幕の隙間から覗いて確認しています。私だけでなく父や妹も覗くようになって、家族で「尼崎の駅前を見守る会」と名乗ることにしました。

それからは知らない人でも幕から中を覗いていたら「あの人も『見守る会』会員やな」と認定して、家族で笑いあっています。どんなお店が入るのか、スタバ(スターバックスコーヒー)のある駅になるのか、未来の話をするのは楽しいものです。

一方で、尼崎に昔からあった個性豊かなお店がなくなってきているのは残念でなりません。阪神尼崎駅の北側にたくさんあった木が切り倒される風景を見るのも寂しいですが、どんどん駅周りがきれいになって、きっと新しいイベントがいろいろ行われるだろうし、楽しみです。

これからも「尼崎の駅前を見守る会」では阪神尼崎駅の変化を見守っていきます。

(40代/会社員)

コーヒーと代筆

「持ち手の取れたコーヒーカップと、持ち手の破片を用意しました。いずれ金継ぎして直すつもりなので、変化する阪神尼崎駅前になぞらえて。コーヒーはコロンビアの豆を5種類ぐらいブレンドしました。コロンビア豆は途中でフルーツが混ざったり世代ごとに特徴が大きく違うんですが、古い世代から新世代からに向かう意味を込めました」

(中本さん)

初ドライブの危機

就職した年に車を買ったときの話です。買った翌日に慣らし運転で尼崎の南側の工場地帯をドライブしていたら、幹線道路を曲がって入った狭い道で前の車が立ち往生していました。黒いセダンが住宅街に止まっていて、どうやらその前の車が路肩に停まっていたので動けなくなったようです。 

セダンから見た目の怖い人が降りてきて「これお前の車か!」って言うんですね。僕はセダンの後ろから来ているから僕が前に停めるわけはないんですけど、とにかく因縁をつけたかったのかもしれません。気がつけば僕の車の後ろからもどんどん車が来てたまってしまっています。

ふと横を見ると、空いてる駐車スペースがあったので、怖いお兄さんに「そこにセダンを入れてくれないでしょうか」と提案したら意外とすんなり「ああ、停めてみるわ」と。お兄さんもこの状況をどうにかしたかったんでしょう。

セダンがどいて、僕の車が前に進める……となりそうだったんですけど、今度はすぐそばの家の前に停められた自転車に当たりそうで進めなくなって……今度は僕が立ち往生してしまいました。怖くて横のセダンの方は見られません。

路肩の車とこの自転車があるとずっと通れない。どうしようかなと困っていたら、横の家のおばさんがものすごい速さで出てきて、自転車をヒュッと入れてくれて……僕も急いでアクセルを踏んでその場を抜け出しました。

そのおばさんの行動が尼崎らしいというか、トラブルが起こる前にパッと回避してくれるんですよね。僕らが悩んでた時間が嘘みたいに解決したわねで。

そのあたりをもうあまり車で通ることはないですけど、折に触れてそのおばさんのことを思い出します。

(30代/読書会主催者)

コーヒーと代筆

「怖い人をイメージして、濃いウガンダの豆に、それを中和するようにコスタリカとブラジルの豆をブレンドしています。あえて器はガラスにして、口元熱くなりそうなヒリヒリ感を表現しました」(中本さん) 

うっすら気にかけてくれる町

おじいちゃんおばあちゃんの時代からうちは水商売で、私は尼崎の飲み屋街で育ちました。スナックやラウンジ、バー、キャバレーで育ったので飲み屋で10代からアルバイトするのは必然でした。いずれ「顔が濃い」という理由だけでフィリピンパブで働くようになったりして。

昼間は高校に行って、それから朝までバイトしてはまた高校……という生活が続きました。学校は勉強をしに行くところというより、青春を楽しむ場所でしたね。

そんな生活で分かったのは、同じ18歳でもいろんな人がいるということ。悪いといわれている人でも、良い面があること。そして尼崎の人の、繋がりの強さでした。

人と人との距離が近いのは良いところでもあり、嫌なこともあって一時尼崎を出ていったこともあります。

ただ子どもを産んで戻ってきたら、人が近いのがいいな、と思えるようになりました。近所で子どもと遊んでいたら周りの人がよく声をかけてくれるんですが、他の地域ではなかなかありませんでした。子どもたちに近所のおばあちゃんがよくお菓子を置いていってくれるんです。周りのみんながうっすら私や子どものことを気にかけてくれている。祭りでうちの子が迷子になったときも、声をかけてくれた人にいろいろもらってお菓子で両手をいっぱいにして帰ってきました。

隣に誰が住んでるか分からない地域もあると思いますけど、子どもを育てるのに尼崎はいい町だと思います。

(30代/4児の母)

コーヒーと代筆

「実際に行って繋がりを大事にする人が多いイメージがあるので、ブラジルの豆に。器は僕のおばあちゃんの家から出てきたものを選びました」(中本さん)

電車に轢かれかけたけれど

西宮に長く住んできたんですが、住みやすいと聞いていた尼崎の武庫之荘に引っ越してきて三か月のある日、踏み切りで立ち往生してしまったんです。急なスロープの踏み切りで、雨の日だったこともあって、自転車で転んでしまって。お盆休みの明けたところで、ハンドルいっぱいにもっていた荷物が散らばって……棒が線路に引っかかって抜けない。いよいよ遮断機が下りてきて焦りはじめたところを、後ろから来た女の人が助けてくださったんです。遮断器を持ち上げてくれて引っかかっている荷物を取るのを手伝ってくれて、お礼を言うのがせいいっぱいでした。その方はさっと行かれてしまいましたが、冷静に対応してくださったのでこちらも落ち着くことができました。私だったらできないな、すごいなと感謝しきりで。

もうその踏み切りは怖くて通らないんですが、もしその女性にまたお会いできたら改めてお礼を伝えたいなと思います。

(40代/会社員)

コーヒーと代筆

「今日持ってきた豆の中で助けてくれた女性の一番イメージに近かった、エチオピアの豆を選びました。コーヒーに対して真っ黒の器は視覚の影響で味が分かりにくいとされているみたいんですが、ちょっと怖かった体験になぞらえてみました」(中本さん)

阪神尼崎駅前のおばあちゃん

18歳のときに関西に引っ越してきたんですけど、正直、尼崎にはあまり良いイメージがありませんでした。学校を卒業してすぐ、阪神尼崎の駅前のイベント設営のアルバイトをする機会があって。2005年ぐらいでしょうか。阪神タイガースが優勝直前のタイミングで、阪神尼崎の駅前に大きなスクリーンを設置することになったんです。みんなで試合を観戦するための。まだまだ時間かかるのに朝8時には阪神のハッピを着たおばちゃんが1人待ちはじめて、2時間したらそれが5人に増えている。設営が終わって、さあ帰ろうとトイレに入ると、男子の公衆トイレの手洗うところでおばあちゃんが上半身裸で体を洗っていて……衝撃を受けました。しかも僕以外の人は誰も見ていない かのように振る舞っていて、僕にしか見えないのかなと思ったらおばあちゃんににこっと笑われてバッと逃げ出しました。 

これはちょっと怖かった経験ですけど、尼崎はちょっとはみ出た人とか、外から来た人にも寛容な町だと思います。「そんなやつおるやろ」というか、みんなそれぞれ勝手に生きている感じが心地よくもある。何年かして尼崎に住むようになって、それはよく実感するようになりました。

(40代/大工)

コーヒーと代筆

「おばあちゃんの味を濃縮するように、インドの豆にインドの紅茶ニルギリの葉も混ぜました。洗濯したり死者の灰を流したりなんでもあるガンジス川のようなイメージです。それを小さなグラスでインパクトがあるように」 (中本さん)


いかがでしょうか。

僕もほとんどのコーヒーをいただいてなんだか酩酊したような気分になったのですが、中本さんが瞬時に繰り出すコーヒーと器の芸はすごみがありました。

ぜひまたやってみたいですね。

カテゴリイベント 関連タグ:コーヒー, コーヒーと代筆, ジャパンコーヒーフェスティバル, 代筆

ガサキベースとDIY BOOKSで本をつくります『木引っこ抜いてたら、家もらった。』

2024年11月21日

木ひっこぬいてたら、家もらった。

本をつくります。

変なタイトルですけど、題して『木引っこ抜いてたら、家もらった。(仮)』という本をつくります。ZINEというより、一般流通できる書籍を目指して。

ガサキベースの足立さんと、DIY BOOKSの平田で。著者は平田、話し手が足立さんです。

兵庫県尼崎市にある「ガサキベース」という場所が、2025年4月に終わります。

ガサキベース

「番頭」の足立繁幸さんと、「丁稚」の足立桃子さんが工場を改装した空間に住みながら、DIYの相談に乗ったり、コーヒーやカレーを出したりしています。DIY BOOKSをはじめ、尼崎の新しい店舗など場所をつくる手伝いをデリバリーで担いつつ、アナログ、ローカル、自分でつくり続けることの大事さなど、いろんなヒントを訪れる人に与えてきてくれました。

ガサキベース

ガサキベースの終わりの前に2025年3月刊行を目指し、ガサキベース足立さんとDIY BOOKS平田の対話を中心に「ほんとうの経済」について考える書籍をつくりたいと考えています。

↓足立さんとの11/21インスタライブの動画です

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なぜつくるのか

ガサキベース

(写真:多田えみあさん)

「木引っこ抜いてたら、家もらった」というエピソードは、ガサキベースとDIY BOOKSで2023年末に行ったイベント「生きのびるためのDIY」で聞いたお話。足立さんは譲り受けた島根の家のジャングルのような木を引っこ抜いていたら、さらにその後ろの家ももらうことになるのでした。

そんなわらしべ長者のようなできごとがどうして起こったのか。足立さんは「機械ではなく、手で作業をしていたからじゃないか」と話します。自分でやる=DIYすること。その風景が人を呼び寄せ、家をもらうなんてイベントも引き寄せる。お金で買ったり外注したりしては手に入れられないものがある。

ガサキベース

「経世済民」や「オイコノミア(家政)」という言葉を見ても、経済というのは家族や人と人がかかわりあう風景を指すものだったのではないか。そしてその家族の風景はDIYがつないでいたのではないか。お金でお金を買うような、金融市場のことだけではなくて。

誰かの代わりにする日々の仕事も、誰かにやってもらう仕事も大事なんだけど、どうも生きている実感というのはDIYしないことには得られないように思えてくる。

足立さんが語ってくれたエピソードには、経済を考えるヒントが詰まっている。そして家をもらってつくっていく未来の暮らしにも興味があるけれど、まずはどうしてわらしべ長者的なイベントが起こったのかをたどっていきたい。その過程でガサキベースに訪れ、足立さんと話した内容を本にまとめていきます。

イベントをやります(終了)。

ガサキベース

本の内容をより拡張して面白くしていただけるような方と著者たちのトークイベントを開催していきます。場所はDIY BOOKS、ガサキベース、杭瀬公園管理棟とガサキベースとゆかりのある場所。

●刊行前イベントの様子

【12/10】イベント「あたらしい百姓と経済」

【12/18】イベント「尼崎の風景とDIY」

【1/8】イベント「あるものでつくる暮らし」

みなさまに協力をお願いしたいこと

1.事前購入をお願いいたします!

ゴミを出したくないので、なるべく刷る部数が決まってから印刷に入りたいと考えています。なにとぞ事前のご購入をぜひお願いいたします。2,000部をひとまず目指しております!

事前購入する

2.カンパをお願いいたします🙇‍♂️

まずは尼崎を中心に流通させていきたいのですが、どんどん全国にも流通させていきたいと考えています。その印刷費や話し手・著者印税、イベントの登壇者への謝礼、イベント・取材出張費等に使わせていただきます。

なにとぞご支援・事前購入をお願いいたします!

書店のみなさまはお問い合わせください。予約注文も承ります。

※刊行後順次いただいたご住所にクリックポストで発送いたします。

事前予約・カンパは以下のボタン・リンクから

※タイトルや書影は仮のものです。予告なく変更される場合がございますのでご了承ください。

カンパする

カテゴリお知らせ 関連タグ:ガサキベース, 出版

リソグラフの使い方。機械の操作とデータの作り方も

2024年11月15日

リソグラフの使い方

理想科学工業の孔版印刷機リソグラフはアジのある印刷ができることで、ZINE(個人がつくる少部数の冊子)やペーパークラフトなどの制作に人気です。
ただ普通の印刷機とは使い方が違うので、注意も必要。リソグラフの基本的な使い方を解説します。

リソグラフとは?

リソグラフの使い方

リソグラフとはRISO(理想科学工業)の孔版印刷機。RISOは、かつて年賀状印刷などを目的に「一家に一台」はあったであろう、プリントゴッコの会社です。現在プリントゴッコは生産終了していますが、リソグラフはプリントゴッコ同様、シルクスクリーンのように印刷する機械です。
毎回「版」をつくり、その凹凸にインクがしみこみ印刷される仕組みです。

学校や公共施設に多いが、海外人気で「リソスタジオ」も

「ガリ版」代わりに小学校や市役所に普及し、今でも教育機関や公共施設に置かれていることが多いリソグラフ。そういった場所では、よく「●枚以上はリソで」など枚数が多い場合に使われることが多いのですが、理由はマスター(版)代が少ない枚数に対してはやや割高になるためでしょう。

アート作品やZINEづくりに利用されることが多く、海外で人気に火がつき、2,000年代以降日本でも人気になりました。今では全国・海外にリソスタジオがあり、下記のページで探すことができます。

https://www.riso.co.jp/learn/risoart/links.html

リソグラフの得意なこと

アジのある仕上がり

リソグラフの特長は、なんといっても風合いのある仕上がりでしょう。インクが紙に染みた感じはインクジェット機などと比べるとどこか懐かしい印象があります。

同じ面を大量に速く刷る


版をつくって刷るので、チラシ印刷などは得意です。そのため不動産屋さんにも多く導入されています。

文字がきれいに出る

紙との組み合わせにもよりますが「HG(ハイグレード)」の黒インクなどで刷ると、フォントが美しく表現できます。

リソグラフの使い方

スキャンして手書きの絵や文字などを取り込んで版をつくることも可能です。

苦手なこと

一気に複数ページを出力する

家庭用やオフィスの一般的なプリンターなら、例えば16ページのパワーポイントの資料を「Ctrl+P」で出力すれば、そのまま16ページ順番に印刷されるはずです。ところが、リソグラフでは版を1度に1枚(2色機なら2枚)しかつくれないため、16ページの資料でも1ページ分しか刷ることができません。
そのため、冊子をつくろうと思うと見開きごとに印刷して重ねていく必要があります。

やや割高

マスター(版)代が高いため、印刷枚数が少ないと印刷費用がやや割高になる傾向があります。ただ1度版をつくれば、枚数を刷れば刷るほど安くなります。

高精細な写真は苦手

グラビア印刷のようにはっきりした4色(カラー)の写真を印刷するのは苦手です。その代わり、グレースケールや1色でアジのある印刷はできます。また、Adobe PhotoShopのチャンネル分解などを利用して擬似的にCMYKの4色の版を重ねることでカラー印刷「風」にすることはできます。

リソグラフの使い方
リソグラフの使い方

ドラムが高額なため、色を増やすのは大変

どちらかというと運営側の問題ですが、インクとマスターを設置する「ドラム」が1つあたり約15万円程度するため、色を増やそうと思うと高額になる傾向があります。

リソグラフの使い方

基本的なリソグラフの使い方を紹介します。
※DIY BOOKSにある2色機MF935を例に解説します。1色機などの場合は仕様が異なるため説明書等を参照ください。

1.電源を入れる

リソグラフの使い方

2.必要に応じて暗証番号を入力

リソグラフの使い方


ユーザー登録しているとカウンターで利用枚数集計ができます。

3.ドラムを入れる

リソグラフの使い方

必要に応じて使う色のドラムを入れます。

リソグラフの使い方

4.紙をセットする

ボタンを押して紙を載せる台を下げます。

※下の写真には映っていないですが、青いボタンを長押しします。

リソグラフの使い方

5.パソコンなどの端末からデータをリソグラフに送る

PDFであればAdobe Acrobat Readerで開き、Ctrl+Pやメニューバーから「印刷」を選びます。ドライバーで「プレビュー・編集」を選んでいるとプレビュー画面が開くので問題なければ、さらにここでCtrl+Pかプリンタアイコンをクリックして出力します。

6.「出力待ち」を出力→版がつくられる

リソグラフが「ピピッ」と鳴ったらデータが飛ばせています。その後はリソグラフのモニターの「出力待ち」でファイル名を確認し、出力します。印刷中など、鳴らないときもあります。版をその日最初にそのドラムでつくる場合、アイドリングの時間が長くかかることがあります。
まず版がつくられ、その後に試し刷りが1枚印刷されます。版ごとに1枚版の印刷がなされるため、2色刷りの場合は計3枚がまず刷られます。

7.問題なければ印刷枚数を入力して「スタート」

リソグラフの使い方


必要に応じて濃度やスピードを調整できます。これでひとまずは印刷できます。

ドライバーのインストール

理想科学工業のWebサイトからドライバーをダウンロードし、説明書等の表示に従って、ドライバーをインストールしてください。
※Mac版は有料のようです。

印刷プロパティの見方

Windowsの場合、スタートメニューやタスクバーの検索窓から(Windows11の場合)「プリンターとスキャナー」>リソグラフの型番(RISO MF935など)から選択して「プロパティ(印刷設定)」を開きます。
よく使うのは「分版設定」です。

リソグラフの使い方
リソグラフの使い方

・分版設定
まず「1色」か「2色」を選びます。

リソグラフの使い方

ドラムの色は前回利用したときの情報が残っている場合がありますが、ドラムを物理的に交換したあと「更新」を押すと実際のドラム色にリフレッシュされます。

マニュアル分版

通常は「オート分版」ですが、あまり正確に色を判別してくれないこともあります。マニュアル分版を選択し、「黒→ドラム① その他→ドラム②」などに設定することで、カラーのデータを自動でリソグラフが判別して分版してくれます。うまくいかない場合はいくつか組み合わせを試してみると良いでしょう。

リソグラフの使い方
リソグラフの使い方


文字・写真それぞれなるべく近い設定にします。
もし1色で(データはグレースケール)で行う場合は、分版設定はほぼ必要ありません。

分版が反映されない場合はキャッシュの可能性があるので、一度面倒ですがアプリ・ソフトを再起動すると反映されることが多いです。

リソグラフの使い方

プレビュー画面でフリーハンドや矩形(くけい)選択し、選んだインクで塗りつぶしをすることで、ある程度分版設定を手動で行うことも可能です。

冊子の印刷の場合

一度表を印刷してから裏返して刷ります。このとき、天地の方向を合わせればOKです。表を印刷したときに写真を撮っておくと間違いないでしょう。

データの作り方

データの作り方については、レトロ印刷JAMさんが豊富な事例を上げられているのでぜひ参考にしてみてください。

色を重ねて表現する

例えば当店DIY BOOKSには赤・青・黄・黒のインクしかありません。「緑」を表現しようと思うと、黄色を刷ったあとに青を重ねる必要があります。この場合は1色印刷を繰り返します。データはグレースケールで濃度を調整します。

リソグラフの使い方


重ねがけの見本もレトロ印刷JAMさんの商品「あそびカタログ2」が参考になります。

よくあるエラー

紙がつまったら

よく起こるのが紙詰まり。リソグラフが知らせてくれるので、詰まった紙をやさしく引き抜きます。
ちなみにダイヤルで紙の厚みに合わせた調整もできるので、特に厚い紙の場合は試してみるのもいいでしょう。逆に薄すぎて詰まる場合は、紙がリソグラフに適していない場合がありますが、内部のブロワー(風圧)を変えることでうまくいくこともあります。ただこれは個人の利用者の方が行うよりも、管理者に行ってもらったほうがよいでしょう。

リソグラフの使い方

重送になった場合

紙が重ねて送られてしまう重送(じゅうそう)。白紙のページが出てきたときにリソグラフが通知してくれます(検知設定をONにしていると)。白紙のページは重ねた紙の一番下に戻すなどするといいでしょう。
一度紙の束全体をさばいて空気を入れるか、少しだけ加湿器などで全体的に湿らすと通りやすくなる場合があります。

【参考動画】

インクの入れ替え

リソグラフの使い方

インクがなくなった場合は、ドラムのインクを回して抜き、新しいインクのボトルのフタを外して回し入れます。

リソグラフの使い方

古いインクのボトルは連絡すると理想科学の営業さんに回収してもらえます。あるいは新しいボトルの注文時に段ボールが届くのでそちらに入れると返送できます。

マスターが詰まった

リソグラフの使い方


マスターが一定量排紙されると警告表示がされます。その場合は排版ボックスの水色の部分を触りながら引き抜き、要らなくなったマスターを捨てて戻します。
※その他の部分も同じく、水色のパーツが「ユーザーが触っていい部分」です。

マスターの入れ替え

リソグラフの使い方

マスターがなくなったら、手順に従って古いマスターを取り出し、新しいマスターを少し引き延ばし入れます。

「このサイズは2色印刷できません」という表示が出たとき

リソグラフは、用紙の短辺での給紙しか基本できないため、不定形であったり長辺で給紙しようとしているとこのエラーが出る場合があります。データや給紙の向きを変更するか、用紙をきちんと給紙台に乗せ、調節のつまみを紙に合わせるようにすると解決する場合があります。

まとめ

以上、リソグラフの概要や基本的な使い方を紹介しました。まずエラーが出たり分からなくなったりしたら、管理者に聞いたり説明書を見たりするようにしましょう。リソグラフは印刷設定などかなり奥深いものがあるので、興味を持ったらぜひ調べてみてください。

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カテゴリZINE 関連タグ:zine, リソグラフ, 作り方

作家キム・ヨンハのいうように、誰もがアーティストになるべき

2024年9月30日

キム・ヨンハ

ソーシャルゲーム『ブルーアーカイブ』統括ディレクターのキム・ヨンハ氏について調べようとGoogle検索したところ、同名の作家キム・ヨンハ(金英夏)さんによるTED動画が目に入った。この『アーティストになろう、今すぐに!』を見て「同じことを考えている人がいる!」と感動した。僕は食うため(だけ)じゃなくて、誰もが作家であるべきだ、と思っている。ヨンハさんも「誰にでも複数のアイデンティティがあって少なくともそのうち一つはアーティストであってほしい」という。人に見せる見せないに関わらず誰もがアートを実践する、そういう未来を望んでいる。

Young-ha Kim: キム・ヨンハ: アーティストになろう、今すぐに!

ヨンハさんは「誰もが生まれながらアーティストだ」と語る。学生に「いちばん幸せだった瞬間は?」と文を書かせると、幼い頃の芸術体験について書くことが多いという。

ピアノを初めて弾いたとき、初めて撮った写真を現像したとき。みんなアートに幸せを感じていた。でもそんなアートとの幸せな時間は長く続かない。「不幸なことに僕たちの中にある創造性は芸術の抑圧者との戦い方を覚える前に息の根を止められてしまう」。創造性が閉じ込められたとき、その自己表現の渇望は抑圧された形であらわれる。半分笑い話ではあるが、物語を紡ぎ出すことのできたかもしれない人が一晩中インターネットで騒いでいる。

アートこそが究極のゴールで、自分を救ってくれるものだ。自分を表現して楽しくなれる。でもそのとき親や配偶者が横槍を入れる、水を差すかもしれない。「稼げもしないのに何のために?」これは悪魔の呪文だが、アートは何かのためにやるものではない。これには「面白そうだからよ! 君も何かやってみたら?」と返そうとヨンハさんは語る。

では僕たちは何をすべきなのか? ヨンハさんはモダンダンスの先駆者マーサ・グラハムの言葉で締めくくる。「JUST DO IT」と。

キム・ヨンハさんの小説『殺人の記憶法』は、殺しと表現が重なってくる作品だった。認知症が始まった元・殺人鬼の主人公が、義理の娘を狙っていると思しき若い殺人鬼と密かに戦いを始める。主人公の記憶や認識のおぼつかなさが恐ろしいのだが、彼が殺人衝動を(おそらく)落ち着かせたのは、カルチャーセンターで詩を学び始めてからだった。彼の殺人記録や告解を、詩作をともにする仲間は芸術的表現として評価する。ある意味で、生き延びるための表現という意味では、それも的外れではなかった……という話だ。

口座残高がマイナスになってどうしようもなかった30代前半の高円寺時代、あるいは鬱で休職した新卒のころ、僕は詩や小説や漫画で一発当てようとした。当然のごとく、一発も当たらなかった。海猫沢めろんさんも言っていたけど、創作にはどこかそういう救いがあるように見える。

僕は神戸連続児童殺傷事件や秋葉原通り魔事件の犯人たちと同じ「キレる17歳」世代である。少し上の世代だけど、同じく就職氷河期世代の、京アニ放火事件を起こした青葉真司にしても、みんな本を書いたり掲示板に書き込んだり賞に応募したりしている。彼らのしたことを心から嫌悪するが、「論」や「作品」の置き場が社会のどこにもないとき、社会で犯罪とされる行為に及んでしまうかもしれない……とも思う。『殺人の記憶法』の主人公のように(それを認めるつもりはないが)犯罪が表現になってしまう。

非正規雇用が増え、格差が大きくなった社会構造、ネットで誰もが発言できるとはいっても結局スクールカースト構造が変わらないような社会で承認欲求の生きどころがなくなり、爆発する場合がある。

多くの人はその一線を超えない。ただ、同じとはまではいわないが、表現の置き場がないストレスを抱える人は多いのではないだろうか。

誰にも認められず何者にもなれない辛さは僕も同じく味わった。ただ、僕の場合はZINEをつくることでそのフラストレーションが少しずつ解決されてきた。最初のコミティアで出した、よく分からない詩と音楽のCD-ROMを買ってくれた3人のお客さんのことは忘れられない。友人と作った批評誌がコミケで50部完売したときの嬉しさも。初めて書いた小説が売れなかったさみしさと、書き上げた満足感も。

そしてDIY BOOKSを始める前に書いた『武庫之荘で暮らす』を多くの人に読んでもらい、考えを共有できる喜び。

100万円払って買い取るような自費出版や、受かるか分からない賞への応募だけが創作の道ではない。それはそれで一つの道だけど、一発当てる発想を切り替えるべきだと思う。弁当をつくるように、ただ書く。ちょっと人に見せてもいい弁当になったら見せる。評価をもらう。切り替える。

コンビニコピーでA42枚を折って、A5の8ページの小さな本をつくって配る。今度は印刷所に依頼して50部刷ってみる。あるいはリソグラフで刷って製本してみる。ZINEのイベントに出て頒布する。そこで元をとる価格をつける。

そういうふうに、じわじわ作る方法がいい。僕はそう思っている。キム・ヨンハさんが言うように、誰しもがアーティストである。あなたにしかない経験こそが価値である。それを世に出したとき、波紋のように表現が広がって伝わるべき人にはきっと伝わる。

まずは書くこと。書く人と場を増やすこと。書いたものの置き場をつくること。ひとまずは私はこの道が正しいと思って、思い込んでやってみたい。JUST DO IT.

カテゴリ随筆 関連タグ:アート, 本, 韓国, 韓国文学

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