阪神尼崎の駅北口で開かれていた、ジャパンコーヒーフェスティバル2024in尼崎に行ってきました。
全国各地で開かれているジャパンコーヒーフェスティバルの尼崎版で、地元のコーヒー店主や焙煎をされている方たちがその回のテーマに沿ってコーヒーを淹れてくれるイベントです。
他の地域は名物などが多いようですが、尼崎は「情」のエピソード。町の人から尼崎の「情」についてのエピソードを集めて、店主がコーヒーを淹れるという……高度な「遊び」をされています。
寒い中でしたが、おいしいコーヒーをいただけました。「流しのコタツ」なんかも置かれていて、アナログゲームをさせていただいたりして良い時間を過ごせました。
日本コーヒーフェスティバル実行委員会の方に相談をいただき、DIY BOOKSでエピソードづくりをお手伝いしました。
「コーヒーと代筆」と題して、尼崎にゆかりのある方に来てもらい、当日イベントに参加された中本翔平さんがコーヒーを淹れ、僕が代筆をする……というもの。
当日お話いただいたのは5名の方。冊子には採用されていないけれど面白いエピソードもあるので、ぜひ読んでみてください。
「コーヒーと代筆」の日は翔平さんが器も味も瞬時にパッとイメージして選んで淹れてくれたんですがかなり高度な「芸」になっていて、また別の機会にやってみたいなあと思いました。
阪神尼崎駅前を見守る会
よく阪神尼崎の駅前を散歩するのですが、春から続く駅の北側の工事を、いつも幕の隙間から覗いて確認しています。私だけでなく父や妹も覗くようになって、家族で「尼崎の駅前を見守る会」と名乗ることにしました。
それからは知らない人でも幕から中を覗いていたら「あの人も『見守る会』会員やな」と認定して、家族で笑いあっています。どんなお店が入るのか、スタバ(スターバックスコーヒー)のある駅になるのか、未来の話をするのは楽しいものです。
一方で、尼崎に昔からあった個性豊かなお店がなくなってきているのは残念でなりません。阪神尼崎駅の北側にたくさんあった木が切り倒される風景を見るのも寂しいですが、どんどん駅周りがきれいになって、きっと新しいイベントがいろいろ行われるだろうし、楽しみです。
これからも「尼崎の駅前を見守る会」では阪神尼崎駅の変化を見守っていきます。
(40代/会社員)
「持ち手の取れたコーヒーカップと、持ち手の破片を用意しました。いずれ金継ぎして直すつもりなので、変化する阪神尼崎駅前になぞらえて。コーヒーはコロンビアの豆を5種類ぐらいブレンドしました。コロンビア豆は途中でフルーツが混ざったり世代ごとに特徴が大きく違うんですが、古い世代から新世代からに向かう意味を込めました」
(中本さん)
初ドライブの危機
就職した年に車を買ったときの話です。買った翌日に慣らし運転で尼崎の南側の工場地帯をドライブしていたら、幹線道路を曲がって入った狭い道で前の車が立ち往生していました。黒いセダンが住宅街に止まっていて、どうやらその前の車が路肩に停まっていたので動けなくなったようです。
セダンから見た目の怖い人が降りてきて「これお前の車か!」って言うんですね。僕はセダンの後ろから来ているから僕が前に停めるわけはないんですけど、とにかく因縁をつけたかったのかもしれません。気がつけば僕の車の後ろからもどんどん車が来てたまってしまっています。
ふと横を見ると、空いてる駐車スペースがあったので、怖いお兄さんに「そこにセダンを入れてくれないでしょうか」と提案したら意外とすんなり「ああ、停めてみるわ」と。お兄さんもこの状況をどうにかしたかったんでしょう。
セダンがどいて、僕の車が前に進める……となりそうだったんですけど、今度はすぐそばの家の前に停められた自転車に当たりそうで進めなくなって……今度は僕が立ち往生してしまいました。怖くて横のセダンの方は見られません。
路肩の車とこの自転車があるとずっと通れない。どうしようかなと困っていたら、横の家のおばさんがものすごい速さで出てきて、自転車をヒュッと入れてくれて……僕も急いでアクセルを踏んでその場を抜け出しました。
そのおばさんの行動が尼崎らしいというか、トラブルが起こる前にパッと回避してくれるんですよね。僕らが悩んでた時間が嘘みたいに解決したわねで。
そのあたりをもうあまり車で通ることはないですけど、折に触れてそのおばさんのことを思い出します。
(30代/読書会主催者)
「怖い人をイメージして、濃いウガンダの豆に、それを中和するようにコスタリカとブラジルの豆をブレンドしています。あえて器はガラスにして、口元熱くなりそうなヒリヒリ感を表現しました」(中本さん)
うっすら気にかけてくれる町
おじいちゃんおばあちゃんの時代からうちは水商売で、私は尼崎の飲み屋街で育ちました。スナックやラウンジ、バー、キャバレーで育ったので飲み屋で10代からアルバイトするのは必然でした。いずれ「顔が濃い」という理由だけでフィリピンパブで働くようになったりして。
昼間は高校に行って、それから朝までバイトしてはまた高校……という生活が続きました。学校は勉強をしに行くところというより、青春を楽しむ場所でしたね。
そんな生活で分かったのは、同じ18歳でもいろんな人がいるということ。悪いといわれている人でも、良い面があること。そして尼崎の人の、繋がりの強さでした。
人と人との距離が近いのは良いところでもあり、嫌なこともあって一時尼崎を出ていったこともあります。
ただ子どもを産んで戻ってきたら、人が近いのがいいな、と思えるようになりました。近所で子どもと遊んでいたら周りの人がよく声をかけてくれるんですが、他の地域ではなかなかありませんでした。子どもたちに近所のおばあちゃんがよくお菓子を置いていってくれるんです。周りのみんながうっすら私や子どものことを気にかけてくれている。祭りでうちの子が迷子になったときも、声をかけてくれた人にいろいろもらってお菓子で両手をいっぱいにして帰ってきました。
隣に誰が住んでるか分からない地域もあると思いますけど、子どもを育てるのに尼崎はいい町だと思います。
(30代/4児の母)
「実際に行って繋がりを大事にする人が多いイメージがあるので、ブラジルの豆に。器は僕のおばあちゃんの家から出てきたものを選びました」(中本さん)
電車に轢かれかけたけれど
西宮に長く住んできたんですが、住みやすいと聞いていた尼崎の武庫之荘に引っ越してきて三か月のある日、踏み切りで立ち往生してしまったんです。急なスロープの踏み切りで、雨の日だったこともあって、自転車で転んでしまって。お盆休みの明けたところで、ハンドルいっぱいにもっていた荷物が散らばって……棒が線路に引っかかって抜けない。いよいよ遮断機が下りてきて焦りはじめたところを、後ろから来た女の人が助けてくださったんです。遮断器を持ち上げてくれて引っかかっている荷物を取るのを手伝ってくれて、お礼を言うのがせいいっぱいでした。その方はさっと行かれてしまいましたが、冷静に対応してくださったのでこちらも落ち着くことができました。私だったらできないな、すごいなと感謝しきりで。
もうその踏み切りは怖くて通らないんですが、もしその女性にまたお会いできたら改めてお礼を伝えたいなと思います。
(40代/会社員)
「今日持ってきた豆の中で助けてくれた女性の一番イメージに近かった、エチオピアの豆を選びました。コーヒーに対して真っ黒の器は視覚の影響で味が分かりにくいとされているみたいんですが、ちょっと怖かった体験になぞらえてみました」(中本さん)
阪神尼崎駅前のおばあちゃん
18歳のときに関西に引っ越してきたんですけど、正直、尼崎にはあまり良いイメージがありませんでした。学校を卒業してすぐ、阪神尼崎の駅前のイベント設営のアルバイトをする機会があって。2005年ぐらいでしょうか。阪神タイガースが優勝直前のタイミングで、阪神尼崎の駅前に大きなスクリーンを設置することになったんです。みんなで試合を観戦するための。まだまだ時間かかるのに朝8時には阪神のハッピを着たおばちゃんが1人待ちはじめて、2時間したらそれが5人に増えている。設営が終わって、さあ帰ろうとトイレに入ると、男子の公衆トイレの手洗うところでおばあちゃんが上半身裸で体を洗っていて……衝撃を受けました。しかも僕以外の人は誰も見ていない かのように振る舞っていて、僕にしか見えないのかなと思ったらおばあちゃんににこっと笑われてバッと逃げ出しました。
これはちょっと怖かった経験ですけど、尼崎はちょっとはみ出た人とか、外から来た人にも寛容な町だと思います。「そんなやつおるやろ」というか、みんなそれぞれ勝手に生きている感じが心地よくもある。何年かして尼崎に住むようになって、それはよく実感するようになりました。
(40代/大工)
「おばあちゃんの味を濃縮するように、インドの豆にインドの紅茶ニルギリの葉も混ぜました。洗濯したり死者の灰を流したりなんでもあるガンジス川のようなイメージです。それを小さなグラスでインパクトがあるように」 (中本さん)
いかがでしょうか。
僕もほとんどのコーヒーをいただいてなんだか酩酊したような気分になったのですが、中本さんが瞬時に繰り出すコーヒーと器の芸はすごみがありました。
ぜひまたやってみたいですね。